いかなる場所でも、何をしてても、一色いろはは清々しい。
サプライズを仕掛けるにおいて、もっとも大事なことは何か。
それは、自然であることだ。
どんなに気合を入れたドッキリも、匠の技でもって披露されるマジックも、最近トンと聞かなくなったパリピ陽キャなウェイの者が喜び勇んでやるフラッシュモブも、ネタが割れてしまっていては興ざめだ。なんなら、「これってびっくりした演技をしなきゃいけないのかな……」などと気を遣わせるまである。
いつも通り、ごく当たり前の日常だと思っているからこそ、不意に訪れる驚きに人は感動する。
新鮮な驚きは自然さによって生まれるのだ。原材料、自然。生産者、自然。とにかく自然であることにこだわるのが、サプライズを仕掛ける側の心構えだ。
それは誕生日祝いにも同様のことが言える。
否、わざわざ誕生日を祝うほどに親しい間柄だからこそ、より慎重に、より自然に振る舞わなければならない。常日頃顔を合わせている以上、些細な違いは不信感を生んでしまう。
ことに、今日のサプライズパーティーの主役は、一色いろはだ。
我が校の生徒会長にして、サッカー部のマネージャー、そして我が奉仕部の賓客。ついでに世界一可愛いクソ女の称号を持つ一色いろはは、あざとかわいいかしこガールである。
その察しの良さは折り紙付き、ちょっとした言動からでも「妙だな……」と顎に手をやり名探偵張りの推理をしてもおかしくない。
加えて、今日が一色いろはの誕生日当日となれば、あの一色とて心の片隅で「もしかしてサプライズされちゃったり?」みたいな一抹の期待を抱かずにはいられまい。俺なんて誕生日と言わず、誕生月である八月はだいたい毎日そわそわしてる。うちに届いた夏の元気なご挨拶でも、すわさては俺宛のプレゼントかと思って勝手に開けて、「なんだよサラダ油かよ助かる〜!」とか思うレベル。
だからこそ、サプライズを仕掛けるにあたっては万全を期す必要がある。
俺を除いた奉仕部の面々もそのあたりは心得ていて、放課後になるや否や、一色が来るより早く集合し、準備にてんやわんやだ。ケーキを用意したり、プレゼントを隠したり、それぞれがクラッカーを忍ばせたり、誰が鼻眼鏡をつけるか揉めたりと、着々と準備を進めていた。
しかし、そんな最中へご本人登場などとなったら、微妙な空気が流れること請け合い。いや、それより今日に限って一色が部室へ来ないなんてことになったら目も当てられない事態になる。主役不在でもそもそケーキを食べるのはあまりに寂しすぎる。
さりとて、「今日、部室来る〜?」なんて普段はまったくしない確認をしようものなら、サプライズがありますと告げているようなものだ。
というわけで――。
奉仕部の面々が準備する間の時間稼ぎと、一色を確実に部室へと誘導する役を奉仕部部長にして我が妹、比企谷小町より、俺が仰せつかった。
四月も折り返しに差し掛かり、入学ムードもいささか落ち着いてきたのか、校舎と特別棟を結ぶ空中廊下は、放課後の喧騒から切り離されたように森閑としていた。
静けさの中、一人きりの足音を刻みながら、さて、どんな話をして場を繋ごうかと考え考えしながら、俺は生徒会室へと向かう。
話題話題……。どんな時でも盛り上がる話題と言えば、「血圧」「尿酸値」「物忘れ」「夜中急に喉が渇く」とかその辺りの不健康自慢がテッパンなのだが、さしもの一色も「あるある〜」とは乗ってこないだろう。
まぁ、いつも通り適当ぶっこいて毒にも薬にもならないような話をするのが自然だな……。なんて思いながら、俺は生徒会室のドアをノックした。
「どうぞ」
コンコンと乾いた音から数拍置いて、扉越しに返ってきたのは落ち着いた応えの声。
それに「失礼します」略して「しゃっす」と言っても言わなくても大差ない程度の挨拶をもごもご口にしながらノブを捻って、扉を開けた。
瞬間、風がさらりと頬を撫でる。開け放した窓から吹き込む薫風がカーテンをはためかせ、廊下へと抜けていく。
視界に飛び込んできたのは、亜麻色の髪。新緑を溶かし込んだそよ風にふわりと揺れ、降り注ぐ日差しにきらきらと輝きを返していた。
この生徒会室の主、一色いろはは、デスクに一人たたずんで、何やら書き仕事をしているようだった。
背筋はぴんと伸び、手元の書類を見る眼差しは真剣で、かりかりと走るペンは淀みない。傾きかけた日差しに照らされる姿は清廉として、いつもよりずっと大人びて見える。
生徒会室でまじめに仕事をしている時はこんな感じなのか。普段とのギャップに戸惑っていると、引き結ばれていた一色の口元がふと綻ぶ。
「なにか御用ですか?」
淑やかな声音でもって言いながら、はらりと頬へ落ちる柔らかそうな髪を細くしなやかな指先でそっと掬って耳に掛けつつ、一色はゆっくりとこちらを見やる。
が、来訪者が俺だと気づくと、すぐにふにゃりと脱力した。
「あ、先輩でしたか」
「おお、お疲れ。ちょっといいか」
「はい、どうぞ。……あ、これだけ片付けちゃっていいですか?」
言って、一色は手元の書類をとんとんとペン先で叩く。
それはもちろん。どうぞご随意に。いくらでもお待ちしますとも。と、俺は無言で頷きを返して、一色の向かいにあったパイプ椅子を引いた。
それを横目に一色はかちりとボールペンをノックして、ふんふんと鼻歌交じりにさらさら書き仕事の続きをする。
やがて、仕上げとばかりに赤ペンでしゃっと線を引くと、ふいーっと満足げな吐息を漏らして、そのプリントを処理済みフォルダへぽいっと放った。
何の仕事してたのかしらんと首を伸ばしてちらっと覗くと、企画書らしいペライチには赤ペンで『いいですね! いいんですけど、なんかイメージと違うんで、来週までにもう3パターン見せてください! よろしくです☆』と可愛く書き添えられている。丸っこいあざと可愛い字のくせにえげつないダメ出しだった。
一色はそれを隠すようにさっと裏返しにすると、きゃぴるんと殊更可愛らしく微笑む。
「お待たせしました」
「いや全然。忙しそうだな」
「いえ、実際そこまでは。新学期前が一番バタバタしてたんですけど、今はちょっと落ち着きました。なので、他のメンバーは今日お休みです」
「ほーん……」
なるほど。副会長やら書記ちゃんやらの姿がないのはそういうことか。取り立てて仕事がない時はきっちり休ませるとは……。ははぁん、さてはこいつできる上司だな?
「結構ちゃんと生徒会長やってんだな」
わかっていたつもりだが、生徒会室で仕事をしている姿と部下を気遣う姿勢とを見ていると、改めてそう思う。ふっと、つい笑みがこぼれてしまった。
諸々の経緯はあれど、結果的に一色を生徒会長に推したのは俺だ。いわば、一色いろは単推しだった身からすると、この成長は嬉しくもあり、寂しくもあり……。
などと、うんうん頷き後方古参面していると、一色は口元もにょらせふいっとそっぽを向く。
「なんですか急に。褒めても何も出ないですよ」
めっちゃ早口でぷちぷち言いながら、一色はそそくさと席を立つ。どこかへ行くのかと思えば、数歩てとてと歩いて、ピタと止まった。
その足元を見やれば、そこには一色が勝手に持ち込んだ私物のミニ冷蔵庫がある。一色はスカートの裾を押さえてすっと屈むとちらりと俺を振り返る。
「……なんか飲みます?」
「おお。ありがと」
やだも〜! いろはすったらチョロはす〜! 何も出ないという割りに案外あっさりなんか出てきそうだ。
一色は冷蔵庫をガサゴソやると、毎度おなじみ見慣れたパッケージのペットボトルを手に振り返る。
「コーヒーにします? 紅茶にします? ……それとも、『い・ろ・は・す』?」
そして、新妻チックなメルヘン台詞を吐きながら、まったく同じ二本のペットボトルを両の頬に当てて、きゃぴっと弾けるような笑顔を浮かべた。なにこいつ可愛いな、ははぁん、さてはこいつキャンペーンガールだな? そんな風に聞かれてしまえば、俺の答えは必然と決まってしまう。
「コーヒーで」
「そこは『い・ろ・は・す』を選ぶべきじゃないですかね」
俺が即座に答えると、一色はむーっとむくれて唇を尖らせる。そして有無を言わさず、ででんと俺の前に置かれる『い・ろ・は・す』。じゃあ、なんでわざわざ何飲むか聞いちゃったの?
いや、いいんだけどね……。『い・ろ・は・す』は厳選された全国6ヵ所の水源から、厳しい品質管理を経て届けられたおいしい天然水で俺も大好きだし。一滴一滴、森が育んだおいしさを存分に堪能させていただこう。
ありがたく頂戴すると、一色がふっと呆れたようなため息を吐いた。
「まぁ、先輩、コーヒー党ですもんね」
「別にそういう訳でもないが……。まぁ、最近はよく飲むな。眠気覚ましも兼ねて」
正しくはコーヒー党というよりマッ缶党過激派なのだが、そのあたりの話をするとややこしくなるので割愛して、受験勉強のお供に的な説明をすると、一色ははえ〜と納得していた。
「あー、そういえば受験生ですもんね。効果あるんですか?」
「めっちゃ効くぞ。うつらうつらして机にぶちまけるとすぐ目が覚める」
「それ使い方あってます?」
コーヒーよりもよっぽど苦い顔で言われてしまった……。一色は『い・ろ・は・す』のキャップを捻り、くぴくぴ飲んで一息入れる。そして、こほんと咳払いして、くてりと首を傾げた。
「で、今日は何のご用件ですか」
「いや、まあちょっと相談があってな……」
まさか正直にサプライズパーティーの準備のための時間稼ぎとは言えない。俺は適当なことを口走りつつ、さて何話そうかしらと頭を捻る。ぶっちゃけ大して話などないのだが、その場しのぎに適当ぶっこくことは得意だ。何食わぬ顔で誤魔化しハッタリその場しのぎ、そういうのマジで得意。
直近でかつ自然な話題選びをするならば……と考えて、ちょうど今日の10分休みに中庭でからかい交じりに言われたことを引っ張り出すことにした。
「週末、なんか出かけるとか言ってたろ。どこ行きたいとかある?」
すると、一色はきょとんとした顔でお目々ぱちくりしていた。そして、何言ってんだこいつといわんばかりに怪訝そうに眉根を寄せる。
「週末? は?」
「えぇ……、なにその反応……。どっか行こうって君が言ったんだけどね……」
苦笑交じりに俺が言うと、一色がぱんと手を打つ。
「あ、あれ」
数時間前に話したことのはずだが、「一年ぶりに聞きました!」みたいなリアクションだった。うーん、時が過ぎるのは早い……。ありましたね〜と言わんばかりにほんほん頷いていた一色だったが、やがて何事か思い至って、ちょっと体を引き、うえぇっと口元を歪ませる。
「……え、本気にしてたんですか?」
「ちょっと? 言い方やばくない? なんか俺が社交辞令マジに受け取った痛々しい奴みたいになってるじゃん……」
ただでさえ痛々しいことに定評があるのに、もっと痛々しくなっちゃう! などと、一人ぶつくさ言っていると、それを見た一色がくすりと微笑む。
そして、机に両肘つくと、体をやや前に倒し、掬い上げるような上目遣いで俺を見上げた。
「いいんですか? わたしとお出かけなんかしちゃって」
他に誰がいるでもないのに、一色はそっと口元に手を当て、声を潜めてぽしょりと囁くように言った。その内緒話めかした密やかな声音はしっとりと甘く、耳朶を通して背筋まで震わせる。こそばゆさに身を仰け反らせて一色の顔を見れば、彼女は「どうします?」と無言で問うように小首を傾げていた。
その試すような眼差しから逃げるように、俺は後ろへ体を倒し、こそっと視線を外す。
「うんまぁ、ほら、みんなでね、出かけるならね。多少はね。最近、そういう機会もなかったし、誕生日祝いも兼ねてみんなでね……」
「みんなで。はぁ。そうですか。断り方女子ですか」
俺がこれでもかと言うほどに、しどろもどろでへどもど言うと一色はふすっと不満げに息を吐いた。ついで「まぁ、いいですけど」と諦め交じりに呟くと、一色はすぐに切り替えたようにふむと腕組みした。
「でも、みんなでどっか行くのもいいですね。どこがいいですかね〜。……あ、せっかくなら合宿とかします?」
閃いた! と一色はぴんと人差し指を立てる。が、俺はいまいちピンとこない。
「えぇ……。合宿ぅ? ご存じないかもしれないけど、うちの部活、奉仕部とかいう謎部活なんだけど……。運動部と違って、合宿してまで練習するようなことねぇぞ……」
そも、奉仕部自体が意味不明な部活だ。奉仕部と名乗っているくせに、奉仕活動、いわゆるボランティア活動に従事するわけでなし。活動内容がさっぱりわからないのに、合宿などしようがない。
しかし、そのあたり一色はまったく気にならないらしい。はい? と首を傾げて、しれっと言ってのける。
「なんでもいいんじゃないですか? 文化系でも普通に合宿やってますよ。うちの学校、合宿所あるんで結構気軽にできますし」
「あ、そう……」
言われてみれば、吹奏楽部や演劇部あたりは普通に合宿しそうな気はする。俺が知らないだけで、他の文化系もまぁ何かしらやることはあるのだろう。茶道部は24時間耐久正座とかやるだろうし、文芸部は出版社の打ち合わせブースに監禁されて一生帰れない缶詰実習とかやるに違いない。知ってる。俺は詳しいんだ。
でも、奉仕部についてはあまり詳しくないんですよね、俺……。奉仕部で合宿ってなにやんだろ……と考えていると、それを察した一色がふむと頷く。
「ちょうど今くらいの時期だと、ガチ練習って言うよりは親睦深める目的でやってるとこが多いんじゃないですかね。ちなみにサッカー部もやる予定です」
「ああ、新歓合宿みたいな感じか。最初は楽しく和気藹々とした雰囲気つくってうまいこと騙して引きずり込むやつな」
「言い方最悪ですね……。だいたいあってるから否定しづらいし」
俺が訳知り顔でほんほん頷いていると、一色はドン引きしていた。が、すぐに疲れたようにはぁーと深いため息を吐く。
「まぁ、楽しいのは新入部員たちだけで、準備するマネージャー側は大変なんですけどね……。予定取りまとめたり、お金集めたり、あと申請もしなきゃだし、献立も考えないといけないし……はー、めんどくさ。ほんとめんどくさ、意味わかんない、めんどくさ」
ぶつぶつ言うたびに、一色の肩はどんどん落ちていき、しまいにはぐったりと項垂れてしまう。しかし、なんのかんの言う割りに辞めたいだのバックレたいだのといった言葉が出てこないあたり、一色の真摯さが窺える。
俺が知らないだけで、サッカー部でも結構真面目に仕事してるんだなぁ……。
などと、感心している間にも一色はぶつぶつ愚痴をこぼしていた。
「新人とか入ってこなくていい……。わたしが永遠の愛され後輩ポジでいたい……」
げっそりうんざり顔でひどいことを言っているのを聞いて、俺はつい苦笑してしまう。
「やー、それはちょっと難しいんじゃねぇの」
「なんでですか。わたし、結構な愛され後輩キャラだと思うんですけど」
一色は不満げにむーっとむくれると、唇とがらせ、なんでですかと繰り返す。まぁ、確かにそんなこと自分で言っちゃうあたり、ある意味逆に可愛げがあって愛され後輩感はあるが。
しかし、そうした可愛げとは別の理由で一色はそのポジションのままではいられないのだ。
「後輩ちゃんのためにそんだけ頑張ってたらもう立派な先輩でしょ、知らんけど」
言うと、一色はうっと声を詰まらせ、せっせと前髪を整え整えして、ふいっとそっぽを向く。
「や、そんなことないですけど……。別に頑張ってないですし……」
「そうか? やる気なかったら適当にやっつけ仕事で片付けるか、誰かにぶん投げてバックレるのが普通じゃん。だから、面倒になったりしない」
言いつつ、俺はついつい遠い目をして、自嘲気味な微苦笑がこぼれてしまう。
「めんどくさいのは頑張ってるからなんだよな……」
我が身に照らして考えれば、大事な仕事や絶対譲れないものに直面した時は死ぬほどめんどくさい思いをするはめになるものだ。それをこの一年間で嫌というほど痛感した。
どうでもいいバイトなんかはすぐにやる気なくして速攻でやめてたのに。なんならやる気なさ過ぎて、出勤どころか面接バックレるまである。この経験を生かして、将来は退職代行業に就こうかと思うレベル。
しみじみ過去を振り返り、かつ輝かしい進路設計に思いを馳せていると、向かい側からうっすらとした吐息が漏れ聞こえてきた。
「…………」
ちらと見やれば一色は呆けた表情で目を瞬いている。が、すぐに我に返るとしゅばばっと身を仰け反らせて俺から距離を取ると、はわはわ忙しなく手をぱたぱたさせた。
「は! もしかして今口説いてましたかできる上司がちゃんと見ててくれてるっぽい感じはキュンとしなくはないですけど綺麗な体になってから出直してきてくださいごめんなさい」
めっちゃ早口でまくし立てて、ぺこりとお辞儀する一色。毎度のことながら、何も言ってないのになぜか勝手に秒で振られていた。
「うん、はい、そうね」
もはやいつものことなので俺が適当に頷いて聞き流すと、一色はむすっと唇を尖らせる。
「出たー、全然聞いてないやつ……」
「いや、さすがにもう慣れたし……」
「慣れ……。なるほど。慣れてきたからこそ、ちょっと違うことやる方が新鮮かもですね……」
一色は腕組みすると、ふむふむ頷き、なんぞぶつぶつ一人ごちていた。怖い。やだもう、この子ってば何するつもりなの? 怖い。そういうちょっとしたサプライズ、めっちゃ効果あるから絶対やめて? 怖い。内心ぶるぶる震えていると、それに呼応して俺の腿まで震えてきた。
と、思ったら、普通にポケットに突っ込んでいたスマホが震えているだけだった。すわ、小町からの連絡かとスマホを見れば『準備完了!』と元気のよい文字面が飛び込んでくる。
では、そろそろ本日の主役をお連れするといたしましょう……。
手元の『い・ろ・は・す』を一口飲んで喉を潤してから、俺はこほんと咳払い。
「あー、一色。そろそろ……」
なんと言って奉仕部へ連れ出すのが自然かと考え考えしながら声を掛けると、一色がぱっと顔を上げる。
「ですね。そろそろ部室行きますか。みんな待ってるんですもんね?」
「えっ。な、なにが」
一色があまりにしれっと言ったせいで、俺の声はめっちゃ上擦っていた。動揺しすぎて主語述語目的語ぐっちゃぐちゃだ。一色は呆れたように肩を竦めると、ぷくっと頬を膨らせ、指を振り振りお説教のように言う。
「サプライズ下手ですか。バレバレでしたよ。普段生徒会室来ないのに急に来るし……。そういうのはもっと自然にやってもらわないと」
「お、おう……」
これもう初手から詰んでたんじゃん……。なんかごめんね? サプライズってめっちゃ難しいのね?
自然にやるって大変だなぁ……。とか思っていたが、一色的にはそうでもないらしい。
「どうします? めっちゃ驚いた方がいいですか? わたし、そういうの得意ですけど。それとも逆サプライズ仕掛けたりしちゃいます?」
なんて、ウキウキのご様子で、ささっと帰り支度を始めていた。
思えば、いつのまにやら一色もすっかり奉仕部に馴染んでいる。部員という訳でもないのにサプライズで誕生を祝われるのだから相当なものだ。だからまぁ、奉仕部も彼女にとっての居場所ではあるのだろう。
「鍵かけるんで出てください、撤収ですよ! 撤収!」
よいしょっと鞄を背負い直した一色に急き立てられて、俺は廊下へ出る。
一色はかちりと大事そうに扉へ鍵を掛け、くるりと踵でターンして、ふわりと髪をなびかせて、ひらりとスカートはためかせ、くてりと小首を傾げると、にこりと微笑んだ。
「ちょっと寄り道していいですか? なにか手土産買っていこうかなーと」
「や、君祝われる側でしょ。そんな気ぃ遣わなくても」
「いいんですっ。逆サプライズなので。ついでに100均でクラッカー買いましょう! 鳴らしながら部室入ったら絶対驚きますよ!」
一色はぐっと拳を握り、「こいつぁ最高にクールなアイデアだぜ!」と言わんばかりにふんすふんすと鼻息荒くしている。その勢いに押され、俺は頷くほかない。
「あ、ああ、うん……、でしょうね……」
なんせ、本来は一色が部室に入ってきたところを部員総出でクラッカー鳴らしてお出迎えという段取りになっているのだ。クラッカーそのものよりも、ネタ被りに驚くこと請け合い。
やんわりとでも止めるべきなのだろうが……。
しかし、今日は一色の誕生日。
本日の主役は一色いろはだ。その願いには最大限応えるべきだろう。
「まぁ、そういうことなら買い物してから行くか……」
言いつつ、俺はポケットからスマホを取り出した。みんな、今か今かと待っているわけだし、ちょっと遅くなる旨、連絡した方がいいだろう。と思ったのだが、メッセージを打とうとした瞬間、一色がすっと手を上げ制してくる。
「ダメですよ。わざわざ連絡したらなんかあると思われるじゃないですか」
「そうかぁ? さすがにそこまで深読みしないだろ……」
え〜? ほんとにござるか〜? と訝しむ視線を向けると、一色はかなり大マジな顔で頷く。
「そうです。なんかいつもと違うなーって思ったら、めっちゃ疑います。今日の先輩みたいに」
「お、おう……。なるほど……」
先ほどの俺の失態を具体例に挙げられてしまうと、納得するしかない。女性は観察力や直観力に優れると聞く。気を付けよう……、いや、別に疚しいことなど何もないが、とりあえず気を付けよう……。
俺がうむうむ唸って自戒を深く胸に刻んでいると、それを見た一色はふっと笑みをこぼした。
そして、ほんの半歩、距離を詰めると、そっと俺の肩口へ顔を寄せ、甘い声音でぽしょぽしょ囁く。
「だから、みんなに内緒で。……バレないように、……自然にしてくださいね?」
首を傾げた拍子にはらと流れた髪をそっと耳に掛けながら、ぴっと立てた人差し指を艶めく唇に押し当て、片目をつむった。なんてことない些細な秘密の共有は、その小悪魔めいた仕草のせいで、妙な後ろめたさを抱かせる。
それを振り払うように、わかったわかったと顎先だけで頷くと、一色はぱっと離れた。
「じゃ、行きましょっか」
一色は何事もなかったようにあっけらかんと笑い、足取り軽やか、鼻歌交じりに歩き出す。
俺は息を止めていた分だけ深々とため息吐いてから、数歩遅れて後に続いた。
自然に、と言われたものの、しかし、何をもってして自然というのやら……。俺クラスともなるとだいたいいつも不自然なので、自然にしようとするほうが不自然なように思える。自然にっていうのが一番難しい……。
けれど、一色にとってはさほど難しいことでもないのかもしれない。
奉仕部で何をするでもなくしれっとお茶を飲んでいる一色いろは。
生徒会室で会長然として真面目に仕事をする一色いろは。
サッカー部で文句言いつつもマネージャーを頑張ってる一色いろは。
永遠の愛され後輩ポジションを譲る気なんてさらさらない一色いろは。
だというのにいつのまにやら立派な先輩になりつつある一色いろは。
そして、二人でいる時は冗談交じりのからかい半分、小悪魔めいて見える一色いろは。
どんな場所で、どんな肩書きで、どんなパッケージングをしたとしても、きっと彼女は自然のまま。
あざと可愛く振る舞うその時でさえ、己が心の源泉の溢れるままに「これがわたし!」と清々しいほど開き直って笑うのだ。
だから、やっぱり。
いろはす、最高なんだよなぁ……。